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チベット旅行記 その八

2002年 7月7日 日曜日 七夕

今日は、とうとう朝からジョカン(大昭寺)に行くことに。
jokann.jpg
ラサの中心にあるチベットで最も聖なる寺院で、チベット各地からラサを訪れる巡礼者たちは、このジョカンに詣でることを最大の目的にしています。ドミからは歩いていける距離にあるので、楽チン。ジョカンに着くと、朝7時ごろという早い時間から、巡礼者たちが五体投地をして祈っている。信仰とは、ここまで気合の入ったものなのだろうか。神聖な雰囲気が漂う。しかし、その横では、チベット族商人たちも商いを始めだしていて、活気あふれる朝になりつつあり、実に面白い。売っているものは主にバターとお香などの仏具だ。巡礼者と一緒にジョカンを一周したり、巡礼者を観察したりと、ジョカンの門が開く8時30分まで待つ。時間通りに開かないのはやはり中国だからなのか?なんてことを考えているうちに、正面ではなく右脇の扉が開く。入って左側にマニ車が見える。とりあえず、いつもの右回りマニ車を回していく。一周し終わり、とうとうジョカン本堂に入る。中は蝋燭の明かりだけで、思ったより暗い。長年に渡ってだろう、巡礼者たちが途切れることなく継ぎ足した大量のバターが蒸発し壁に付着したのか、触るものすべてにぬめりがある。その独特のぬめりは、空気からも感じ取られる。そして、目が慣れていくにしたがって、壁画に描かれた仏画が見えてくる。そういう状況を含めさすがラサ一番の寺だけある。どことなく空間そのものに威圧感がある。一番奥の12才の頃の釈迦牟尼を模ったと言われる釈迦牟尼像を祭る釈迦堂は、かなり見ごたえがあった。思わず、お辞儀してしまうような重圧感。じゅんじいと二人で何かを感じ取ったのか、本来なら一周のところを二周する(笑)。巡礼者にとってはえらい迷惑な観光客だが、もう一周してでも目に焼き付けておきたい、そんな釈迦牟尼像だった。二周終わったところで、僧の一人にもう出て行きなさいと目線で合図を送られる。入り口のほうを見ると、順番待ちをしている巡礼者たちが大勢いた。本当に悪いことした、ごめんなさいと仏に祈った。外に出て、トゥルナン寺の屋上まで登る。景色がよく、ポタラ宮も遠くに見える。サンからの煙が霧のようで、また、早朝の雰囲気をいっそういいものにしている。屋上から下を覗くと、チベタンでごった返していた。ちょうどそのとき、テレビクルーのワゴンが3台ほど無理やり、チベタンのいる中を通っていった。車にチベタンが群がり、ちょっとした人だかりになっていた。(今思うことなのだが、このチベット旅行を終え日本に帰ったときに、テレビで「片岡鶴太郎 チベットへ行く!」のようなタイトルの番組がやっていて、その片岡鶴太郎がチベットを訪れたときと僕らが旅行したときがちょうど重なっていた。もしかしたら、あのテレビクルーらしきワゴンは、彼らだったのかもしれない。)

昼食をとってから、デプン寺に向かう。デプン寺には、山の麓から耕運機に乗ってちんたら登っていく。デプン寺はかなり大きな寺だった。多いときには七千名を超える僧侶が修行をしていたという。僧の家と兼用なのか、隣接しているのか生活とかなり密着しているようだ。相変わらずどこへ行っても親切な僧がこっちだよと迎えに来てくれた。
depun.jpg
デプン寺には犬が多いと指南書に書いてあったが、ほとんど看られずいたとしても人間慣れしていて、恐れるに足らずだった。セラ寺と変わらず、迷路のような道に「PLEASE COME THIS WAY」と書かれていたのでそのとおりに進む。午後を過ぎたからなのか残念ながら戸が閉まっていて看れない寺のほうが多かった。文革で破壊されたモノなのか単に古くなったからなのか山の上のほうの寺は修復作業が行われていた。彷徨いながら歩く。相変わらず、容赦のない日照り。途中休憩を挟む。
depun3.jpg
道すがら老いた僧に出会った。祖父ちゃんぐらいかな?彼に旅行人ノートを見せると写真欄のカンリンポチェや僧の写真を見て、何かを呟きお祈りをしていた。その光景を前にして、なんて信仰深いのだろうかと感動した。カンリンポチェの巡礼者に無事にたどり着けるようにとお祈りをしてあげたのだろうか。とにかく、あの光景は目と心に焼き付いて離れない。
デプン寺では、年に一度の祭りのときに、巨大タンカを飾る大きな大きな祭壇があるらしい。さっきの老僧に、巨大タンカの祭壇の写真を見せいく方向を教えてもらう。「トゥジチェ」と老僧に別れを告げ向かう。祭壇というよりは、大きな鉄の足組みがあっただけだった。回りを羊がメェメェないていた。その後は、写真を撮りながら、出会った人に「タシデレ」と声をかけながら気ままに進む。行けないといわれたいた修復中の寺にも潜入したりと(ここは眺めがよかった。)、ホント自由に行動した。看るものも看たということで、また耕運機で下る。実は、途中にもうひとつ寺があったらしいが、知らなくて行くことができなかった。このときで15時で、帰りのバスにもなんとか間に合い帰ることができた。帰りのバスでは下車するタイミングを間違え、ラサ市内を二周することに。そのとき、たまたま紅灯区を見つけ、ラサにも有るんだなと驚いた。ホテルに戻ると、日本人に出会った。下痢が止まらないらしく、あだ名は「下痢君」となりました。
夜には、売店のおじちゃんと仲良くなり、文革やチベット侵略、第二次大戦などについて、チベット族と日本人の視点から熱く語りあう。このときおっちゃん自家製のビールを飲ませてくれ、物凄く嬉しかった。名前はなんと言っただろうか。バリビールだったかな?ついでにデジカメも充電させてもらう。おっちゃんとは、チベットでは口外できないような本音を交えて熱く語り合った。祝いたくても祝ってあげられない人の誕生日が昨日だったと言った。なんだかとっても悲しい気持ちだった。けど、こんなことを打ち明けてくれるなんてすごい嬉しかった。このドミの売店のおっちゃんは最高だ。20歳の七夕の夜に、好い思い出がまた一つできた。

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