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新撰組!を見ながら考える

発展するとは、どういうことなのでしょうか。
高度なインフラ設備が整うことはすべて発展です。
そして、鄭州に以前はなかった納豆、それが今は手に入ることも発展の一つだと思います。
それらに共通するのは、「今まで存在しなかったものが存在する」ということでしょう。
今まで存在しなかったものが存在するということが発展ということではないかと思います。
中国でも今、しきりに発展という言葉を使います。
日本では中国ほど使うことはないと思います。
以前は発展したなぁという言葉はよく耳にしましたが。
日本が最も発展したのは高度経済成長期でしょうが、僕はその時代を良く知りません。
しかし、中国旅行したことがある親戚の叔父さんは「昔の日本も今の中国みたいにどんどん色んなもの建ててすごい勢いで発展したんだ」といっていたのを思い出しました。
今、自分は中国の高度経済成長期の真っ只中にいるのではないかと思います。
また今日も新撰組の話になってしまいますが、日本は黒船の来航以降、いやそれ以前からもですが、西洋のモノがたくさん入ってきて、その度に日本人は驚き、怖れ、外国のものを排除する運動が盛んになってきました。
それが攘夷運動ですね。
攘夷~異物を退ける、中国語だとそういう訳になるのかな。
自分たちとは違うものを受け入れがたい。
他人の習慣を受け入れがたい。
要はそういうことでしょう。
外を知らない。世界は日本だけだと思っていた。
井の中の蛙です。
留学前は自分もそうだったなぁって思いますね。
自分の町、遠くても札幌まで、それぐらいが自分の行動範囲の限界だった。
価値観の違うものにたいした触れ合うこともなく、知っているのは日本人だけ。
まぁ親父のお陰で幼い頃から少しの留学をさせてもらったりして外国人とは触れ合ってはいたが。
知ることも偏っていて、本の中、テレビの中から垂れ流された情報を一方的に受け止めるだけだった。
そして、それらを信じることだけしかできなかった。
それでも、そんな自分を変えた一つが、インターネットだった。
これは自分を大きく変えた。
自分の知りたいことがすぐに手に入った。
遠く知らない人と交流ができた。
会ったこともない人とたくさん議論し、会話をした。
そして、情報というものは一方的で、それを操作することはどういうことなのかということを学んだ。
今思えばメディアリテラシーを自然と学び、正しいことなんてものは自分の目で見たことしか信用しないようになっていった。
今もこうして日記を垂れ流してるし。
そして、留学。
留学はさらに大きく自分を変えることになった。
異国人との交流は怖ろしくも、楽しかった。
今まで考えもしなかったことに触れ合えた。
自己価値観の崩壊がきて、どんどん新しいことに気づくようになった。今でも新しい価値観ができては壊され、少しずつ自分のアイデンティティが形成されていっていると思います。
某国と某国がいがみ合っているのを見て、双方の言い分を知り、お互いの良いところ悪いところを知ることができる今の状態は、まさに幕末の坂本龍馬のような気持ちなんではないかと思う。
今の中国で日本の物を買うなとか、それはそれは攘夷見たいな運動がたびたび起きています。
原因は戦争責任が主で、他には中国政府や企業の陰謀だったりすると思いますが真実はわかりません。
まぁとにかく、因果関係は似ていませんが、外のものを排除しようとすることだけは攘夷運動と同じようなもので、攘夷される側を体験できていると思います。
抗日記念の日がやってくるたびに、住みにくい状況になります。
「なんでそんなに俺らを嫌うの?」
「お互い、良いとこどりすればいいのに。どうしてそんなにいがみ合うんだ。」
今中国留学されている中で「おれが日中の架け橋になってやろう」と意気込んでいる人は少なくはないと思うし、おれも中日関係の架け橋に慣れればと思っているし。
そう思えば、形は違えど、新撰組が歩んできた時代に生きた人のような心情を体験できている気がするなぁ。
外のものといかに付き合っていくか。
その交流能力は、一年や二年では身に付かない。
留学して一年や二年の人には、変な話まだまだ攘夷思想が残っていると思う。
それをようやく開国の方向に向かえるようになるには二、三年かかると思う。
今になってようやくわかった。親父に10年は帰ってくるなということの意味。
はっきりいって5年経ってもわからんことだらけだ。
それでも、日本にいた時の自分よりは、はるかに変わったと思う。
日本にいれば手に入らなかったような考えが今はたくさんある。
ただ思うのは、それは中国留学で学んだ価値観だと言うこと。
これが欧米にいって通じるかというのは疑問だし、おそらくまた違う世界が待っていると思う。
世界をもっと見聞しなければならないと思う。
まぁ今の日本人が井の中の蛙になるのはしょうがないことだとも思う。
今の少年たちが世界を知るのは難しい。誰も教えてくれる人はいないし、教えてもらってもわかるものではないかもしれないか・・。
以前よりはインターネットも普及し、世界の情報が手に入りやすくなったとはいえ、語学の問題やいろいろある。
一番の問題は、今の教育者が世界を知らないことが多いと思う。
実際、自分が教育を受けた人の中で世界を知っていて、外には新しい価値観があると教えてくれた人は何人いただろう。
世界に目を向けさせてくれた人なんかほんの数人だった。
昨今、教科書問題や教師の倫理観などが問われているが、彼らは志なんか持たず、ただ生活のためだけに教師になった人たちが多いのではないかと思う。
教育者とは元来そうではないはず。
次世代を担える人を育てるというのが本来の仕事ではないのだろうか。
今の教育者にはそれが見られない。
時代の流れに沿っていないのではないか。
そういう時代の流れに沿っていない教育者を子どもたちは見透かしているのかもしれない。
何か違う。あの先生の言っていること、どこか違う。
どこかその辺に危機感を感じる。
すでにグローバル社会に突入していて、もうとっくに経済も政治も日本だけではやっていけなくなっている。
そういう流れに疎いものは、尊敬はされない。
ましてやこれから一国の中だけで生きようなんていう古い考えを捨てていかなければ、どんどん日本は遅れをとっていくし、今の大人にはそういう危機意識が足りないと思う。
こんなに自国を心配するようになったのは留学してからだが、日本にいたときは、ぼーっと、「俺は、大学へ行って適当に遊んで楽しい学生時代を過ごして、可愛い彼女を見つけて、大手会社に就職して、綺麗な奥さんを見つけて結婚して・・」なんてことを本気で考えていた時もあった。
永遠に日本という国が豊かなまま続くのだと思っていた。
まさに井の中の蛙、大海を知らず。
でも、知らないばかりではなかった。知りたいという興味は常に持っていた。
親父の影響やチョウソウがきっかけだったりしたなぁ。
「井の中の蛙、大海を知らず。」この言葉には続きがあると新撰組!の中で近藤勇が言っていた。
井の中の蛙、大海を知らず、しかし、空の高さを知る
空の高さとは、興味だったり、志だったり、色んなものに例えられるだろうけど、自分の場合は一応の海外への興味があった。外へ出たい、空はどれだけ高いのかという興味。
新撰組のような時代の人々の場合は、共通して日本を守りたいという強い志があった。
今の日本人に何が足りないのかを考える上で、「空の高さを知る」かどうかが重要だと思う。
今の日本にいるほとんどの日本人は井の中の蛙。
でも、空の高ささえ知っていれば、実は世界が広いとわかったときにいくらでも対処ができると思う。
そして、それを教えるものが今はとても重要なのではないかと思う。
今の教師に足りないのはそのあたりだ。世界の広さを教えれば一番いいことだけれど、それができない教師でも空の高さを教えることはできるはず。
空の高さはどこからでもわかる。志を持たせることはいかに重要かということ。
ではないかなぁ。
あれれ、また飲みながら書いてしまったら長くなったなぁ。
まぁこれ徒然Blogだからいいよね(笑)。
何ヶ月に一回かこういう日記OKですよね・・?よね?

本日のBGM(バックグラウンドムーヴィー):新撰組!
本日のお酒:JAMESONのコーラ割り。
そして、右手には同学の筆記本。

これにて、御免!!

Comment

ojamaiko #- - URL
2005/12/29 (Thu) 02:19

お久しぶりです。

今鄭州では、納豆まで売っているのですか!
すごい。
私が行ってたころなんて、牛乳すら売ってなかったです。

外国で暮らしてみて、自分が如何に井の中の蛙だということに気づかされます。
外国も知り、自分も知ることができる、きっとひと回りもふた回りも大きくなることでしょう。
楽しんでください。

>ojamaiko
かむじゃが #- - URL
2005/12/30 (Fri) 06:55

ういっす。そうっすね。
今では鄭州もビックリするぐらい近代化してますよ!
というか、牛乳売ってないという話は始めて聞きました!!(笑)
色んな経験ができるように今の状況を楽しみます!!
ウッス!

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